鋳物を生産する技術職のことを鋳物師(いもじ)といいます。

日本では遅くとも平安時代には官職の称号となりました。

全国には鋳物師が集団で拠点を構えていた地域があり、防府市にも「鋳物師町(いもじちょう)」という地域が今でも残っています。

鋳物師 防府市鋳物師町付近
鋳工の多く在住した地と伝える。周防国は早くから鋳銭司が置かれたことでもわかるとおり、鉄を産出し、国府の置かれた付近にも鋳物師の集住があったらしい。
現下関市忌宮神社の正和元年(一三ーニこの年号ある緯路。や、現徳山市遠石八幡宮の元応二年(一110)の締銘に刻まれる「大和貞清」、現山口市の氷上山純隆寺の明応三年(1四九四)緯銘などの「大和相秀」は防府鋳物師である。近世にも東佐故令村の小名に鋳物師があり、「注進案」は鋳物師三軒、鋳懸細工二軒、鋳物師手間二〇軒を記している。江戸時代の緯。金鼓などにその名がみえる鋳物師家としては塚本(司とも)。尾本·岡村。野村。田中。清田。河本。松原などの諸家がある(防長地名期艦)。

出典:『山口県の地名』より